序論:我々が愛するのは「リアル・シェリー」か、それとも「設計された香味」か
シェリー樽熟成ウイスキーの香味は、しばしば「リアルシェリー(Real Sherry)がそのまま染み出した特別な味わい」としてロマンチックに語られます。しかし、冷静に成分とプロセスを俯瞰すると、シェリーそのものとシェリー樽ウイスキーの香味は、「イチゴ」と「イチゴ味」ほどに異なるレイヤーにあることが分かります。
美味しいイチゴを栽培することと、美味しいイチゴ味の食品を設計することは、狙いと最適化のゴール(目的関数)が異なります。同様に、シェリーというワインを極める営みと、ウイスキーの熟成容器としてのシェリー樽を極める営みには、重なりつつも決定的なズレが存在します。
本稿は、この「ズレ」を解像度高く描写することを目的としたナラティブ・レビューです。最近はAIの発達により、便利なことに言語の壁のハードルがかなり下がりました。そこで本稿では、学術論文、スペイン側の一次資料(Consejo Regulador等)、および国内の研究知見を統合し、「我々が本当に欲しているのはリアル・シェリーなのか、それとも現代的に設計されたシェリー樽という装置なのか」という問いに対し、科学的妥当性のある解釈を試みます。
※なお、本稿でイチゴとイチゴ味の比喩が指すのは、主として製造意図と評価指標の差であり、香味の優劣を論じるものではありません。
(図1:イチゴとイチゴ味の対比概念図)

1. 樽の定義における断絶:「ソレラの古樽」と「現代のシーズニング樽」
議論を混乱させる最大の要因は、「シェリー樽」という単語が指す実体が、歴史的文脈と現代の製造現場で乖離している点にあります。
歴史的に語られる「輸送樽(Transport Cask / Shipping Cask)」は、かつてシェリーを英国へ輸出する際に使われた容器です。500リットル級の樽にワインが詰められ、数ヶ月から時には年単位で滞留し、英国の倉庫で保管されていました[1]。
一方、現代のウイスキー市場を支える樽の供給源は、この輸送樽の余剰ではありません。1970年代以降、現地でのボトリング義務化や物流の変化などが重なり、輸送樽を前提としたフローは大幅に縮小し、ウイスキー熟成用樽の供給源としては機能しなくなりました。その結果、蒸留所は自ら樽を製造し、ヘレスで「エンビナード(Envinado / Wine-Seasoning)」と呼ばれるシーズニング処理を委託するモデルへと転換しました [2]。
本稿では議論の明確化のため、まず用語を便宜上、以下のように定義します。輸送樽を「輸送を目的として一定期間シェリーが充填され、輸送や海外保管に伴う滞留を経験した樽」、ソレラ古樽を「ボデガのソレラで長期反復使用され、樽材由来成分の抽出が落ち着いた樽」として区別します。
なお、輸送樽と本稿でいうソレラ古樽は、歴史的には同一の個体が時期によって両者の役割を担い得ます。しかし本稿では、あくまで機能と使用履歴の違いに基づく区別として用います。
したがって、本稿では以下の二つを明確に区別して論じます。
- ソレラ古樽: ボデガで長年シェリーの熟成に使われ、「樽自体の成分抽出」を期待されない、いわば「出涸らし」(=木香抽出がおちついた)の容器 [4]。
- シーズニング樽: 蒸留酒の熟成を目的に新規製造され、意図的にワインでコンディショニングされた、「抽出を主目的とする」容器 [5]。
(図2:輸送樽フローと現代フローの変遷)

この区別をつけるだけで、「なぜソレラで何十年も使われた古樽から、あれほど濃厚なシェリーボム(濃厚なウイスキー)が生まれないのか」という疑問への答えが浮かび上がります。
2. ボデガの視点:熟成樽は「ニュートラル」でなければならない
最近は本物のシェリー樽熟成のウイスキーであることがはっきり分かるケースがあります。熟成の早いジャパニーズウイスキーでは特に分かりやすいのですが、リアルシェリー熟成樽(ソレラ古樽)は、しばしばプレーンで色づきが薄いことがあります。これはウイスキーファンの知っている、濃厚な「シェリーボム」などと言われる香味や色味とはかけ離れています。古樽は、濃厚な木香や色を与えないのでしょうか。
スペイン側の公式解説によれば、ヘレスのシェリー熟成において、新樽由来の強い木香や過剰なタンニンは基本的に歓迎されません。重視されるのは中立性、すなわち木香やタンニンの付与を最小限にすることと、微小酸素供給(Micro-oxygenation)による酸化熟成の環境です [3]。
ワイン熟成における樽は、酸素の供給と成分の移行によって酒質を変える、いわば「能動的な容器」ですが、その能動性をどの方向に向けるかは生産者の意図に依存します [5]。一方、ボデガのソレラシステムは、樽を「香りを付加する装置」としてではなく、「安定した酸化熟成環境を提供する装置」として試用しているのが一般的とされます。
実際、ブランデー・デ・ヘレスの官能評価研究においても、長期使用された古樽は新樽とは異なるバランスの取れた寄与(統合感や丸み)をもたらすことが示唆されています(なお本稿は私の非専門分野を横断するナラティブ・レビューのため、領域によってはMDPI系ジャーナルの論文も参照しています。ただしMDPI系は媒体特性により質のばらつきが指摘されることもあるため、本稿では当該知見を補助的根拠として位置づけます) [6]。
ブランデー研究はどの程度ウイスキーに当てはめることができるか:アルコール度数の壁
ただし、ここで一つ重要な留保が必要です。本稿で参照するブランデー・デ・ヘレス関連研究は、シーズニングや樽使用年数が香味に与えうる“方向性”を示す点で有用ですが、スコッチの熟成条件へ数量的にそのまま当てはめることはできません。
特に熟成中の抽出は、水とエタノールの比率に依存し、色素・タンニン・ウッドシュガーのように水に溶けやすい成分と、ラクトン類のようにエタノールへ溶けやすい成分とで、支配的な挙動が変わり得ます。弊ブログでも以前に取り上げた内容ではありますが、他の文献においても樽詰め度数が抽出に与える影響は“溶媒としての水とエタノール”の違いとして説明されています [7]。
したがって本稿の議論は、ブランデー研究を一つの機序のヒントとして位置づけ、スコッチ特有の度数・原酒組成・熟成環境の下での検証は今後の研究課題として留保します [5]。

(図3:樽詰め度数と抽出成分クラスの概念図)
3. シーズニングの科学:樽は香味の「受け渡し媒体」である
ここでは「ワイン」を酒類区分としての包括語として用い、原産地呼称やスタイルとして特に区別が必要な場合に「シェリー(Jerez-Xérès-Sherry/Manzanilla の保護対象ワイン)」と表記します。さらに、樽のエンビナード工程で用いられる液体は一次資料上 “wine” と記載されますが、飲用として想起される品質を前提としないため、本文では原則として「シーズニング液」と呼びます。
現代の主役である「シーズニング樽」では、「樽(木材)は二つの酒類の間で成分を受け渡す媒体(Transfer Vector)である」という概念が重要です。
Guerrero-Chanivet Mらによると、シーズニング中には以下の双方向の反応が起きます [8]。
- 木材からワインへ、過剰なタンニンや成分が溶出する。
- ワイン由来の成分が木材の深層へ浸透・保持される。
(図4:木部断面における香味の受け渡し)

シーズニングワインの品質変数
ここで注意したいのは、樽のシーズニングに用いられる液体が、必ずしも私たちが飲用として想起するVOS/VORS級の品質や、ボトリング製品としての市場要件を前提としていない点です。業界解説では、シーズニング後のワインは再利用され、数回のシーズニングを経て最終的に蒸留やビネガー等へ回ることが示されており、飲用としての販売は通常想定されません [9]。
また、業界向けの解説でも、2015年の認証制度以前は「リアルシェリー」が使われたかを保証しにくかった、という指摘が見られます [9]。ここでいう「リアルシェリー」は、原産地呼称(DO)の法規を満たした正当なシェリーであることのみを指し、飲用製品としての熟成ランクや香味品質(Commercial Quality)が高いことを意味しません。つまり、法的に「本物のシェリー」であっても、我々が飲むものとは設計思想が異なる液体が使われる、という区別が重要です。
その一方で、ヘレス側は2015年以降、真正のシェリーでのシーズニングと期間などをトレースできる仕組みを提供しており、用語の透明性は改善方向にあります[10]。
したがって本稿では「オロロソ樽」「PX樽」というラベルを、飲用シェリーの品質イメージの代用ではなく、“シーズニング設計のスタイル名”として扱い、香味への寄与は樽材・トースト・期間・液体の素性の組合せとして議論します。もっとも、木材は自然物であり、同一仕様であっても樽材の個体差や製樽工程の微差に由来するばらつきが残る点は、あらかじめお断りさせていただきます。
(図5:シーズニング液のライフサイクル)

4. 品種ごとの真実:PXはなぜ「甘い」のか
「PX(ペドロ・ヒメネス)樽=甘い」という図式は一般的ですが、そのメカニズムには興味深い二面性(Dual Nature)が存在します。
本節でいう「甘い」は、味覚としての甘味そのものに加えて、干し葡萄様の香気や樽由来のバニリン、ラクトンなどが作る甘やかな香りの印象も含む官能概念として用います。
PXは糖度が212 g/Lを超える極甘口のワインです [11]。しかし、Guerrero-Chanivet Mらによると、PXの高密度な糖分はその分子量の大きさから木材孔への物理的な障壁となり、他のワインに比べて木材孔への浸透深度が浅くなる可能性を指摘しています [12]。これは、味覚の甘味を担う糖が短期的には木材深部へ単純に移行しない場合があり得ることを示唆します。
一方で、長期(60ヶ月)のシーズニングを行うと、木材中の総糖量が有意に増加するというデータもあります [13]。ここから導き出される解釈は、「PX樽の甘さ」は単純な糖の移行だけでなく、樽由来成分(ラクトンやバニリン等)や、熟成中の複雑な化学反応の総体として「甘い印象」が形成されている、というものです [14][15]。
(図6:PXの「浸透制限」と「糖移行」の二面性)

5. 「スパニッシュオークはシェリーに使われない」と「『リアルシェリー樽』にスパニッシュオークが使われる」ことは両立するか?
ウイスキー愛好家の間で度々議論になる「スパニッシュオークはシェリー熟成に使われない(だからスパニッシュオークのシェリー樽は存在しない)」という言説は、実態の問題というより、用語が異なる文脈で混線しやすい点に由来すると考えます。本節では、資料上確認できる範囲で用語の定義と文脈を切り分け、過不足のない結論を導きます。
「スパニッシュオーク」定義の二層化
「スパニッシュオーク」という語は、議論の前提として二層に分けて扱う必要があります。
第一に植物学的な樹種としての“Spanish oak”で、これはヘレス側の公式説明では Quercus pyrenaica (roble español) として言及されます[15]。
第二に地理的な意味での「スペイン産ヨーロピアンオーク」で、業界文脈では Q. robur なども含めて “Spanish oak” と呼ばれることがあり、用語が混線しがちです。実際、業界解説でも “Spanish oak cask” が誤用されるケースがある、と指摘されています[16]。
以後本稿では、前者を「ロブレ・エスパニョール(Q. pyrenaica)」、後者を「スペイン産ヨーロピアンオーク」と呼び分け、曖昧語としての「スパニッシュオーク」は原則として本文運用に用いません。
輸送樽の真実
輸送用(shipping/transport)樽の材を「アメリカンオークに限る」と断言するのは難しいです。Scotch Whiskyの解説は、輸送樽にアメリカンオークも使われた一方で、1930年代以降はヨーロピアンオークが増加したと述べています[16]。したがって輸送樽の集合は、少なくとも一定割合でヨーロピアンオークを含み得ます。
さらに、ヘレス側の公式説明ではシェリー樽がスペインオーク(Quercus pyrenaica)で作られる場合もあるとされます[15]。
この二点を踏まえると、輸送樽には“スペイン産のヨーロピアンオーク”が含まれ得るという程度の結論は、資料に照らして控えめな論調でも十分言える結論です。
(図7:用語混線の解消図──産地×樹種マトリクス)

設計と不確実性の共存
以上のエビデンスを統合すると、シェリー樽熟成ウイスキーの輪郭はより鮮明になります。
我々がグラスの中で出会っているのは、ボデガの片隅で忘れ去られた古樽の偶然の産物ではありません。それは、蒸留所のブレンダーとクーパレッジ(製樽所)が、木材種を選び、シーズニング液を選び、期間を管理して作り上げた意図的な香味設計の結晶です[10]。
もちろん、本稿の結論を設計された香味がすべてであると言い切るつもりはありません。むしろ、樽材は自然物であり、製樽・トースト・シーズニング液・期間・輸送・保管環境などの要因が重なる以上、揺らぎは原理的に残ります[16]。
重要なのは、その揺らぎを消すことではなく、揺らぎが美味しさとして立ち上がるレンジをどこまで技術で設計できるか、という挑戦としてシェリー樽を捉えることです。現代の“シェリー樽らしさ”は、ロマンと工学のどちらか一方ではなく、その両者の重なりの中で更新され続けています。
(図8:設計変数の地図)

6. なぜオールドシェリー樽は「美味しかった」と語られるのか
本章の射程と用語
ここで扱う「オールドシェリー樽」とは、単に古い樽一般ではなく、「シェリーを樽で輸送していた時代」に、結果としてウイスキーに強いシェリー様香味を与え得た樽の総称として用います。重要なのは、当時の樽の一部が非常に魅力的な香味を生んだ可能性と同時に、当時のすべてが一様に高品質だったわけではない、という両面を視野に入れることです[2][20]。
さらに、以後の議論で混乱しやすい「ワイン」「シェリー」「シーズニング液」をここで整理します。シェリーは酒精強化ワインであり分類上はワインに含まれますが、本稿では「ボデガの製品としてのシェリー」と「樽のコンディショニングに使う液体」を区別したい場面が頻出します。そのため後者は原則として「シーズニング液」と呼びます(前述に記載していますが改めて)。学術論文ではこの液体を便宜上 “wine” と記すことがありますが、その “wine” は飲用の通常ワインを意味するとは限らず、文脈上はシーズニング工程の液体を指す、と理解するのが安全です[5][9]。
「長くシェリーが入っていた樽」という物理条件
オールドシェリー樽の語りで見落とされやすいのが、樽が長期間、シェリーが入っていた(濡れていた)というシンプルですが核心的な事実です。輸送樽(shipping cask)の時代には、シェリーが樽内で数か月、場合によっては年単位で滞留しつづけていました[1]。ここでのポイントは、樽材がシェリー由来成分を表層だけでなく一定の深さまで保持し得るほどにシェリーで使っていたこと、そして樽が空になった後も樽材内部に保持された成分が次の充填液に移行し得ることです。
もちろん、現代の「シーズニング樽」も意図的に液体を入れて樽を慣らしますが、現代は工程が仕様化され、期間や液体の素性が管理されやすい一方、歴史的な輸送樽は物流と在庫の都合で滞留時間や条件が揺れやすかった可能性があります[1][4]。この長期にわたりシェリーが樽に滞留し得たという点は、オールドシェリー樽の香味を丁寧になぞるための出発点となります[1]。

ファーストフィルとリフィル
ファーストフィルとリフィルを明確にします。ファーストフィルとは、ある樽が「ウイスキー熟成に使われるのが初回」であることを指し、一般に抽出が強く出やすいと理解されています。リフィルは、同じ樽が二回目以降の熟成に使われる状態で、抽出が弱まりやすいことが経験的に知られています[17][18]。
この直観は、実験データとも整合します。Piggottらは、樽の履歴(以前何が浸かっていたか)が異なる複数タイプの樽でスコッチ原酒を熟成させ、木材由来成分や官能特性の差を比較しています[17]。その結果、いわゆる樽香の中核を担うオークラクトンやバニリン等について、樽履歴によって到達濃度や時間推移が大きく変わることが示されています。たとえばトランス型オークラクトンは、樽の使用回数が少ない場合で最大値がより高く、使用回数の多い樽では低いレベルで頭打ちになる傾向が報告されています[17]。これは、ファーストフィルでは木から抽出出来るものが相対的に多い、という説明をデータで裏打ちする方向性を与えます。
加えて、オールドシェリー樽らしさを、ウイスキーが入る前の樽に何が入れられていたかという観点から補強するデータもあります。Prydeらが行った分析では、糖(グルコース、フルクトース)が比較的高濃度で検出され、ファーストフィルのワインまたはシェリー樽の使用と整合する、と解釈されています[18]。さらに、チロソール(tyrosol)が検出された点も重要です。用語注として、チロソールはワインなど非蒸留飲料に含まれ得るフェノール性化合物であり、蒸留工程だけで自然に増えるタイプの指標ではありません。したがってウイスキー中でチロソールが検出されることは、樽がウイスキーの熟成以前に、非蒸留飲料が充填されていた可能性を支持します[18]。

例えば、同じ原酒でも、ファーストフィル相当の樽では色、甘い木香、乾果実様香気が短期間で立ち上がりやすく、リフィルでは立ち上がりが遅く穏やかになりやすい、という官能上の経験則があります。この経験則は、木材由来成分の濃度推移が樽の履歴で変わる、という測定結果と矛盾しません[17]。
「オールドシェリー感」は何で分かるのか
オールドシェリー樽をめぐる議論が難しいのは、何がオールドシェリー感たらしめるのかを、単一成分で説明しにくい点にあります。ここで有用なのが、近年の網羅分析とケモメトリクスです。Roullier-GallらはFT-ICR-MS等を用い、樽熟成ウイスキーの化学的シグネチャを比較し、樽の履歴が蒸留所や産地に依らず組成へ強く影響し得ること、またシェリー系樽とバーボン系樽で識別に寄与し得る化合物クラスが異なることを示しています[19]。Kewらも高分解能MSを用いて、シェリー樽熟成とバーボン樽熟成の識別に資する情報が得られることを報告しています[20]。
ここでの含意は二段階です。第一に、オールドシェリー感を感じたとき、化学はある程度まで“指紋”として差を示し得る、という点です[19][20]。第二に、その指紋が示す差を、すべて原因として分解しきれるわけではない、という点です。網羅分析は識別や類型化に強い一方、個々の化合物が香味へどの程度寄与するか、どの工程変数がその化合物群を生んだか、という因果分解は別の設計が必要になります[19][20]。したがって本稿では、網羅分析はオールドシェリー感が化学的に無根拠ではないことの支えとして用い、単一原因の断定には踏み込みません。

オールドボトルは選択・生存バイアスに晒されている
少々きつい言い方かもしれませんが、「昔のボトルは良かった」という主張はそもそも成立するのでしょうか?私はあまりこの説は支持しにくいと感じます。理由は二つあります。
第一に、当時も現在も、硫黄系のオフフレーバーが出る可能性はゼロではありません。硫黄化合物は低濃度では複雑性に寄与し得 る一方、高濃度では品質を損ね得ること、また製麦、発酵、蒸留、熟成の各段階で生成と減少が起こり得ることが、レビューでも整理されています[21]。したがって「オールドシェリー樽=常に良い」という単純化は避けるべきです。私の経験上の話にはなってしまいますが、現行のシーズニング樽由来のウイスキーでは、かつてのような強い硫黄臭などのオフフレーバーを感じるケースにはだいぶ出会わなくなりました。そういう意味で、現行のシェリー樽ウイスキーは平均値が上がっていると言っても過言ではないかもしれません。
第二に、現在まで語り継がれているのは、原理的に「現存し、開栓され、評価され、伝説化したボトル」です。ここには生存者バイアス、選択バイアスが入り得ます。硫黄臭が強いボトル、保管状態が悪いボトル、当時は普通の出来だったボトルは、そもそも語りとして残りにくい可能性があります。この点を押さえることで、「伝説のボトルがあること」は「当時のリリースボトルの平均が高かったこと」を意味するわけではないということが理解しやすくなると思います。

パハレテ
パハレテは、英語では paxarette または paxarete と表記されます。シェリー由来の調合液で、ウイスキー熟成用の樽を“処理する”目的で用いられてきた、と説明されています[22][23]。
Oxford Companionの解説によれば、パハレテはシェリー由来の“vino de color”を基盤に、オロロソやPX等をブレンドし、樽処理に用いられたとされます[22]。19世紀後半にシェリー樽の需要が高まった一方、供給が追いつかない局面で、新樽を作ってパハレテで処理するという発想が広まり、空樽の再活性化にも使われ得た、という歴史的説明が与えられています[22]。
ここで重要なのは、パハレテの存在は、オールドシェリー樽の一部が、当時すでに自然任せではなく意図的な香味設計(風味の補強)の対象であった可能性を示唆しています[22][23]。つまり昔はすべてが偶然で、現代は設計という二分法は必ずしも成り立たず、過去にも“設計的介入”が混在していたと解釈できます。
なお、パハレテの扱いは法規制とも関係します。少なくとも1990年のScotch Whisky Orderでは、スコッチに添加できる物質が水とスピリットキャラメルに限定される枠組みが明確化されています[24]。この枠組みの下で、風味へ影響する添加物としてパハレテが問題視されたという説明は、専門誌の整理とも整合します[23]。ただし本稿では、特定の蒸留所やボトルでの使用有無を断定するのではなく、あくまで全体像として歴史的な流れを提示するに留めます。

小結
以上を統合すると、「オールドシェリー樽が美味しかった」と語られる背景は、単一の秘密ではなく、少なくとも三つの要素が重なった結果として理解するのが妥当です。第一に、シェリーを樽で運んでいた時代には、樽が長期間シェリーを抱え得たという物理条件があったこと[1]。第二に、ファーストフィル相当の樽履歴は、木材由来成分の移行を強め得ることがデータで支持されること[17][18]。第三に、パハレテのような樽処理が一部で存在し得たこと[22][23][24]。
その一方で、硫黄臭のようなオフフレーバーが起こり得ること、そして現代に残る語りには選択バイアスが入り得ることを同時に置くことで、「ロマン」と「検証可能性」を両立した議論にできます[21]。

7. 結論
本稿の中心的な結論は、「我々がグラスの中で出会うシェリー樽香味は、リアル・シェリーそのものの再現というより、樽という媒体を用いた香味設計の成果として理解する方が説明力が高い」という点です[4][8][10]。
ただし、ここでいう香味設計は「何でも思い通りにできる」という意味ではありません。樽材は自然物であり、製樽、トースト、シーズニング液の履歴、保管環境が重なる以上、揺らぎは原理的に残ります[8][19]。むしろ現代の技術は、この揺らぎをゼロにするというより、この揺らぎが美味しさとして立ち上がる範囲を(仕様と運用で)狭める方向に発達してきた、と捉えるのが実務にも整合すると言えるでしょう[4][10]。この意味で、少々大げさですが、現代の“シェリー樽らしさ”は、ロマンの否定ではなく、ロマンが成立する条件を工程として言語化し直す試みとも言えるでしょう。オールドシェリー樽の魅力も、偶然だけでなく、物理条件と樽の履歴、場合によっては樽処理の介入という要素の重なりとして説明することができます[1][17][22]。
8. シェリー樽のリアルを知る
本稿全体を貫く問いを、最後により平易な言葉にするならば、我々が欲しいのは“シェリーの真実味”なのか、それとも“シェリー樽という装置が生む特定の香味レンジ”なのかという整理になります[4][10]。
これまで見てきたように、ボデガにとって、樽とは基本的に中立性と酸化熟成環境の安定性が主目的です[3]。一方、ウイスキーにとって、樽とは抽出と反応を起こすための香味を作る能動的な装置です[5][8]。ここに価値観のズレがあり、そのズレこそが「リアル・シェリー」と「シェリー樽熟成ウイスキー」の距離を生みます。

したがって、リアルシェリー樽と現代のシーズニング樽の違いを知ることは、夢を壊す行為ではなく、何に対してロマンを抱いているのかを精密化する行為です。オールドシェリー樽の伝説も、現代の設計樽の魅力も、どちらか一方を否定する必要はありません。
最後に、筆者の個人的な願いを添えるならば、「リアルシェリー樽だから」「ソレラの古樽だから」といったスペックへの信仰だけで、目の前のウイスキーを断じることは避けたいものです。 むしろ、これらの違いを構造として理解したうえで、我々が求める香味を「偶然の遺産」ではなく「設計と揺らぎの同居」として捉え直してみる。そして、技術が及ばない部分になお残る「揺らぎ」をこそ、存分に楽しむ。そうすれば、ウイスキーは今よりもっと面白くなるはずです。 この視点の転換こそが、本稿の最終的な到達点となることを願っています。
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