はじめに
ここ数年、ジャパニーズウイスキーブームによって、ジャパニーズウイスキーの光と影は徐々に浮き彫りになってきました。少しウイスキーを嗜んでいる人にとっては、例えば「(昔の)竹鶴はベンネヴィスが入っている(らしい)」と噂することが普通になってしまいました。そして影の部分が大きくなるにつれ、ジャパニーズウイスキーと名乗ったよくわからない酒が海外市場に溢れ、2021年2月に日本洋酒酒造組合が自主基準を発表するまでになりました。
4月1日はジャパニーズウイスキーの日、になるらしいです。
ジャパニーズウイスキーの歴史と、先人たちの努力をより広く、より深く知っていただくために、記念日を制定します。
https://twitter.com/japanesewhiskyd
とのことです。
ここでいうジャパニーズウイスキーの歴史は、おそらく竹鶴政孝氏などを筆頭としたジャパニーズウイスキーの黎明期からの正史と言っていいような話なのでしょう。
でも、ジャパニーズウイスキーは大手のみが作っているわけではありません。本稿では、光があてられにくかった、日本のクラフトディスティラリーの歴史についてスポットライトを当て、今後どのような方向性を取るべきなのか、持論を述べる機会といたします。
正直、今回このお題で記事を書くかどうか、この章を書いている時点でも悩んでいます。というのも私はドリンカーであり、あまりドリンカーの目線から外れたことを議論するのはあまり粋ではないように感じるところがあるためです。ドリンカーとしてある程度時間と金を割いて、趣味として活動している方だとは思いますが、人生を賭けてウイスキーを実際に作ったり売ったりする人の努力と覚悟を軽々しく言いたくないところはあります。でも、こんな日だからこそ、こんなタイミングだからこそ、消費者側から何か言えることがあるのではと感じブログを作成するに至りました。
クラフトディスティラリーは、新しいジャパニーズウイスキーの指針では不利な立場にいると感じます。ただその前に、クラフトディスティラリー、大手以外の蒸留所がどのような経過をたどってきたのか、皆さんはご存じでしょうか。
クラフトディスティラリーについて、簡単に過去の歴史をなぞりながら、今後のクラフトディスティラリーの将来について考えていければと思います。
※用語について。本稿ではクラフトディスティラリーという用語が頻発します。これはサントリーやニッカなどの大手ではない、中小企業が運営する蒸留所のことを指します。クラフト蒸留所やクラフトウイスキー蒸留所、マイクロディスティラリ―という言葉も出てきますが、本稿ではクラフトディスティラリーという用語で統一します。
ジャパニーズウイスキーの歴史
1900年前後からのジャパニーズウイスキーの歴史については、各成書をご覧いただきたいと思いますが、ネットで無料で読める記事を一つ紹介するなら、下のリンクにあるやる夫で学ぶシリーズがおすすめです。
マッサン放送前に執筆された同シリーズですが、かなり良くまとまっております。
酒税法
日本のウイスキーを知るうえで無視できないものは、酒税法です。酒税法は1940年に、政府が戦争による財政悪化の対策として施行されたのが始まりとされています。同法ではアルコール飲料を9種類(現在17種類)に分類し、製法や免許、課税方法について記しています。ウイスキーに対する酒税法は何度も改正されてきましたが、ジャパニーズウイスキーの歴史を語る上では酒税法は欠かせないと思いますので、ここで紹介をします。
1943年~53年
1943年、戦況の悪化に伴い酒税法が改訂され、税金が大幅に引き上げられました(当時は雑酒表記)。
3級 | 2級 | 1級 | |
度数 | 37-39% | 40-42% | 43% |
混和率 | 0-5%未満 | 5%-30%未満 | 30%以上 |
庫出税 | 350 | 470 | 570 |
この時から1989年まで続く、級別制度が制定されました。ここで少し用語を確認します。
まずは級によってアルコール度数が異なります。そして混和率ですが、これは混和する原酒を指します。「三年以上熟成された原酒を混ぜること」とされていました(多少正確ではありませんが、大まかなイメージとしてはこれで良いかと思います)。1級のような本格的なウイスキーは43%以上で、3年以上熟成された原酒を30%以上使っている必要があります(1953年の改正で、3年の熟成は必要なくなった)。
庫出税は出荷時の課税のことです。級によってかなり税金が異なることがわかるかと思います。
酒税法の改定と自由貿易
2級 | 1級 | 特級 | ||
度数 | 37-39% | 40-42% | 43% | |
混和率 | 1953年 | 0-5%未満 | 5%-30%未満 | 30%以上 |
1962年 | 0-10%未満 | 10%-20%未満 | 20%以上 | |
1968年 | 7-13%未満 | 13%-23%未満 | 23%以上 | |
1978年 | 10-17%未満 | 17%-27%未満 | 27%以上 |
ここで50年代から改正ごとおきのウイスキーの解説をしても良いのですが、今回着目すべきは混和率です。昔はほぼウイスキーが入っていなくてもウイスキーと呼べるようになったものが、1978年には2級ウイスキーであっても10%のモルトウイスキーを混和させる必要がありました。逆に言うと90%はよくわからない飲用アルコールでもよかったわけです。60年代まではウイスキーは1滴でも入っていれば2級ウイスキーを名乗れたため、この時代の2級ウイスキーをイミテーションウイスキーと呼ぶことがあります。要はウイスキーと言ってますがほぼほぼ工業製品のエタノールのようなものだったわけです。60年代まではこのイミテーションウイスキーが、各地方の酒蔵で作られてきたようです。当時日本の酒の売上の多くを占めたウイスキーです。味わいはともかく、2級ウイスキーは多くの国民に親しまれてきました。当時のジャパニーズウイスキーの8割が2級ウイスキーだったとのことですから、現在我々が知るウイスキーとはずいぶん違うものが市場の主戦場だったということになります。
1970年代に起こったのがアメリカやEC(欧州共同体)との貿易自由化です。1972年~1973年にかけて、洋酒輸入関税が引き下げられることととなりました。この引き下げは結構なもので、当時5000円したジョニ赤が3500円程度になったようです。この自由化によりウイスキーの輸入量は3倍超になりました。大手ウイスキーメーカーは輸入ウイスキーに対抗するため、高品質のウイスキーをリリースする方針となります。特に問題となっていたのはブレンデッドウイスキーに必要なグレーン原酒の供給で、60年代はニッカがカフェスチルを持っていただけだったのですが、1972年にはサントリーがサングレイン(知多蒸留所)を設立、またキリンシーグラムの富士御殿場蒸留所もこの時期に設立されました。白州蒸溜所が出来たのもこの時期です。
地ウイスキーの台頭
1970年代から1980年代は、ウイスキーが日本で一番売れた年代でした。1970年代ではウイスキーの消費が120%増加しました。これは一般的な酒の消費量が25%程度だった中での消費増で、当時のウイスキーの人気ぶりがわかります。当時は特にサントリーが販促で一般の飲食店にウイスキーを置いたり、ボトルキープ制度を作ったりすることで、サントリーオールドをはじめとするジャパニーズウイスキーの消費量増を後押ししたものと考えられています。
これと同時期に出てきたのが地ウイスキーシーンの出現です。これは1970年代のウイスキーブームに合わせ、小規模の酒造がウイスキーをリリースするようになります。1980年代前半に地ウイスキーブームとなり、多くの蒸留所が稼働するようになりました。イチローズモルトの社長、肥土伊知郎氏の祖父が設立した東亜酒造(羽生蒸留所:ベンチャーウイスキーとの資本関係はない)のゴールデンホースなどが有名です。
地ウイスキーの現実と地ウイスキーが抱えていた問題
地ウイスキーブームというと聞こえはいいですが、勘の良い読者の方々ならあることに気が付くかもしれません。1970年代に蒸留所建設を思い立ったとしたなら、ブームになるまでの期間があまりにも短い、ということです。これにはいくつかの回答があります。一つは1950年代から60年代にかけて、小さな蒸留所は存在していたことです。日本には1970年代からある程度蒸留所があったことがわかります。しかし、大手のような蒸留所ならまだしも、小さい蒸留所は一体どうやってウイスキーを蒸留していたのでしょうか?現在よりも情報が行き届いていない当時、ウイスキー製造のノウハウを有している蒸留所はかなり少なかったことが推測されます。
実際のところは皆さんお察しの通り、貿易自由化によりバルクウイスキーを輸入しやすくなったことが大きいようです。スコットランドからモルトを輸入し、グレーンをスコットランド、アメリカ、カナダなどから輸入し、それらを混ぜて地ウイスキーとしてリリースしていたようです。中には蒸留をしていなかった酒造もあるとか。地ウイスキーというのはその言葉とは裏腹に、多くの蒸留所が地ウイスキーとしてワールドワイドなバルク原酒メインのウイスキーをリリースしていたというのが、当時の地ウイスキーの真実のようです。このような業者をNDP(Non–distiller producers;非蒸溜業者)と呼ぶ様ですが、日本ではあまりなじみがありません。勿論真面目に蒸留していた蒸留所もありますが、ノウハウの蓄積という点では大手に及ばない蒸留所が多かったようです。
ウイスキー市場の落ち込み
1990年代以降、徐々に日本のウイスキー市場は冷え込んでいっています。この原因は税金問題と焼酎ブームにあると指摘されています。
1980年代、日本のウイスキーの酒税は何度も引き上げられ、価格がかなり不安定になりました。1989年には等級制度が廃止され、ウイスキーは出荷量に対してのみ一律で課税されるようになりました。これは2級ウイスキーの終焉を意味します。ウイスキーの消費低迷と前後するように焼酎人気が台頭してくるようになりました(国内のスピリッツ占有率を参照)。明確な因果関係は不明ですが、デイリーユースのウイスキーの酒税が上がると、人は安い代替酒を求めるようになるのは想像に難くありません。ちょうどこのころ、フルーツ・フレーバー付きの焼酎がヒットし、税率が低いことも相まって大きなブームになりました。バブルが崩壊していくと、酒も高級志向ではなくなっていきます。これから、ジャパニーズウイスキーはしばらく低迷の時期を迎えます。
とある本では2010年までグラフ化されていました(下図)。明らかに、ウイスキーと焼酎が1983年前後にデイリーユースの蒸留酒として変わったことがわかります。
地ウイスキーの終焉
先述したようなウイスキーの低迷を受けて、国内のウイスキー蒸留所も一気になくなっていきました。
下図を見ると1980年(実際は1983年)をピークに、赤線のウイスキーの出荷量が一気に落ちていることがわかります。その出荷量を受け、青線のようにウイスキー蒸留所数も減少しました。
このように、地ウイスキーブームは長く持たず、2000年代中頃まで蒸留所は減少の一途を辿ることとなりました。
ジャパニーズウイスキーの低迷とベンチャーウイスキー
90年代から00年代までジャパニーズウイスキーの低迷が続いてきましたが、2000年代後半より徐々にウイスキーの出荷量が上がってきました。
理由は複数指摘されていますが、主に理由は2つあると思われます。
一つは2000年代前半より、ニッカ、サントリー、メルシャンなどの大手各社がIWSCなどの国際コンペティションで多くの賞を受賞したことです。それまで日本のウイスキーは質の低いものと思われてきましたが、コンペティションで受賞をし続けることになり、ジャパニーズウイスキーはゆっくりと日の目を浴びていきます。ここで、シングルモルトの受賞もありましたが、多くはブレンデッドウイスキーを利用し、バルクウイスキーとジャパニーズウイスキーをブレンディングすることで高品質なリリースが多くできたという事実も知っておくべきでしょう。
もう一つは世界的にウイスキーの消費が増え始めた、という事実が出てきます。スコッチウイスキーの輸出量が2000年代より徐々に上がり続けるようになりました。1980年代、1990年代初頭にWhisky Lochと呼ばれた、本家スコットランドの厳しいウイスキー不遇の時代がありましたが、ここにきて日の目を浴びるようになってきたのです。
蛇足になりますが、最近のスコッチウイスキーの輸出先です。EU,北アメリカ、アジア圏で特に飲まれていることがわかります。
同時期からジャパニーズウイスキーの輸出も徐々に増えていきました。世界的に徐々にウイスキーブームが始まってきたことがわかります。
ジャパニーズウイスキー出荷がどん底であった2000年代後半に、日本にある一つのウイスキー蒸留所が出来ます。皆さんご存じのベンチャーウイスキー、秩父蒸留所です。奇しくも2007年は日本国内のウイスキー消費量が統計を取り始めてから最低の年。そんな時期に肥土氏がウイスキー蒸留所を建設するのは尋常なことではありません。以前ベンチャーウイスキーのセミナーを受けた際は、スコッチウイスキーの輸出量が増えているために輸出でジャパニーズウイスキーは戦えると銀行などに説明していたようですが、相当熱意がないとこのタイミングで事業を起こすのは難しいと感じます。
ハイボールブームとマッサン
2008年、サントリーは今では当然のように飲まれている角ハイボールのキャンペーンを行いました。2009年からの小雪の角ハイのCMを覚えている方も多いのではないでしょうか。ちょうどビール、酎ハイに変わる新たな酒飲料として新たな顧客層を獲得し、2010年ころからウイスキーの消費量は徐々に拡大していきます。
このウイスキー消費にさらに拍車をかけたのは、2014年9月から2015年3月まで放映された、NHKの連続テレビ小説 マッサンです。竹鶴政孝氏とその妻リタ氏をテーマとしたもので、これによりウイスキーは爆発的な人気となります。戦術したグラフでも、大きく出荷量が増えていることがわかると思います。
イチローズモルトの成功とクラフトディスティラリーの登場
イチローズモルトはその後2010年代中盤に進むにつれて、カードシリーズなど国内外での認知度が上がっていきます。またジャパニーズウイスキーの高騰など様々な要件が重なり、多くの賞規模蒸留所が2015頃から設立されることとなります。1985年に設立されるも1992年に蒸留停止した信州マルス蒸留所をはじめ、多くのウイスキー蒸留所が動き始めます。イギリスのフォーサイス社から技術員を呼び本格的に設立した厚岸蒸留所、軽井沢の蒸留設備を落札し、直火薪蒸溜などのチャレンジングな蒸留手法を取っている静岡蒸留所などの新興蒸留所はもちろん、江井ヶ島蒸留所や三郎丸蒸留所など、昔から細々と蒸留していた蒸留所が本格的にウイスキーづくりをし始めるパターンも存在します。これらのウイスキー蒸留所は(マルスは規模が大きいので含めないこともありそうですが)サントリーやニッカなどと比較して、いつしかクラフトディスティラリー、クラフト蒸留所と呼ばれたり自称したりするようになります。
上の図を見てもらえればわかりますが、消費量は1983年より上がっていないのにウイスキーの蒸留所は1980年代に迫る勢いまでに拡大しています。これは1980年代が内需中心のブームでしたが、2010年代は国外需要があるためでしょう。2010年代後半から、軽井沢や羽生蒸留所といった閉鎖蒸留所のウイスキーが高騰するようになります。欧州、アジアでもこれらのウイスキーを求めて高騰する人が増えたのが2010年代半ば~現在でしょう。
バルクウイスキーとジャパニーズウイスキー
この章の詳細は有名ブロガーくりりんさんが詳しくまとめていますし、これに追記する事項も特にないので、こちらを見ていただければ事情はよくわかると思います。
https://whiskywarehouse.blog.jp/archives/1060015284.html
https://whiskywarehouse.blog.jp/archives/1060053301.html
https://whiskywarehouse.blog.jp/archives/1060120500.html
バルクウイスキーについては、2009年のSWAの改正により、大きな動きがありました。2012年からシングルモルトはボトリングされた状態でしか出荷できなくなりました。
https://www.legislation.gov.uk/uksi/2009/2890/contents/made
2016年頃からバルクウイスキーの話が界隈でよく出てくるようになりました。このきっかけの一つになったのは間違いなく倉吉シリーズのウイスキーです(倉吉蒸留所を見学したこともありますしこのウイスキーに関しては様々な意見があるのも知っていますが、議論するつもりはないのでここでは詳細は伏せておきます)。大事なことは倉吉に限定した話ではなく、どこのブランドかわからない漢字表記の謎のウイスキーが米国、欧州に出荷されるようになります。このようなウイスキーは質が低いものも多くあり、ジャパニーズウイスキーのブランディングが壊れる危険性があります。このような問題を抱えたために、2017年頃から日本洋酒酒造組合が自主基準について議論するワーキンググループが発足したようです。
前編のまとめ
ここまで記したことをまとめましょう。
- 1950-60年代、ジャパニーズウイスキーはブレンド用アルコールが9割ほどを占める2級ウイスキーが中心だった。
- 70年代の自由貿易協定は、バルクウイスキーの輸入を促進させた。大手蒸留所は品質を重視するようになった。
- 80年代に地ウイスキーブームが起こり、日本国内における需要が増した。各地方でウイスキーが製造されたが、その多くは技術的に未熟だったり、バルクを混ぜただけの業者が多くあった。
- 80年代の度重なるウイスキーへの増税や級別制度の廃止により、大衆向けの2級ウイスキーはほぼ消滅し、焼酎にとって代わられた。ウイスキーは低迷期に入り、蒸留所は打撃を受け、地ウイスキー蒸留所は徐々に閉鎖していった。
- コンペティションの受賞、ハイボールブーム、マッサンブームと海外からのジャパニーズウイスキーブームにより、ジャパニーズウイスキーの需要が一気に増した。
- 2015年以降、クラフトディスティラリーが相次いで建設されており、1980年代に越す勢いである。本格的な蒸留を行っている蒸留所も多いが、一部の業者がバルクウイスキーをメインとした不透明なウイスキーを作製、輸出を行うようになった。粗悪なウイスキーも多くあり、ジャパニーズウイスキーのブランド価値が落ちる危険性が出てきた。
この流れをみてどう思うでしょうか?個人的にはざっくりと以下のように考えています。
- ジャパニーズウイスキーで、世界に通用する品質管理や研究開発をやってきたのは、大手と一部の蒸留所だけだった。
- 秩父蒸留所が出来てから、クラフトディスティラリーのロールモデルが出来た。ここ5-6年で、しっかりと品質を重視したジャパニーズウイスキーを作ろうという思いのある蒸留所が増えてきた。
- バルクウイスキーは昔から使われており、ジャパニーズウイスキーとは切っても切れない縁だったが、日本のウイスキー市場が成熟してきた。
あくまで個人がこうとらえた、というだけなので異論があってもいいのですが、「ジャパニーズウイスキーの歴史と、先人たちの努力をより広く、より深く知る」ならこのような大手以外の視点でジャパニーズウイスキーを捉えることを無視してはいけないでしょう。
後半では、ジャパニーズウイスキーの歴史を踏まえた上でクラフトディスティラリーが今後どうなってほしいか、個人的な意見を申し上げる項にいたします。
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